移り変わる共同体、コミュニティの濃淡

 こんばんは。新元号になってGWの10連休も終わりに近づいてまいりましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 新年度に入ってなかなかに忙しくしていたのであまり書こうと思わなかったのですが、ふと休暇中に思うことがあったので書いてみようと思った出来事があったので、久しぶりに書いています。

 

 

 

 

    もう捨ててしまったこと。戻れないこと。

 

 

 お仕事柄、お子様とかかわることが多いので、彼らが難しいと思う場面や課題に遭遇した時に、できるだけ子供の目線で考えてあげたいなぁとか定期的に思うわけです。

 

 「勉強会やるからなんかテーマ考えといてよ!」ってに言われたので、休暇中の時間あるときにテーマ探しでもするかぁって感じでボーっとしてたわけですよ。

 

 んで思いついたのが「子供たちにとってどんな支援があったら学校で生活しやすいのか?」って感じのテーマだったんですけど、これはいいアイデアを思い付いたぞ!と思う反面、難しすぎるんじゃない?とも思うテーマでして。

 

 というのも、子供の視点に立って「あんな支援あったらいいな」って考えようとすると、自分の時どうだったかな?って考えるわけじゃないですか。でも100パーセント思い出せるわけでもないし、僕はその環境やそこでの嫌なことを通り抜けてしまったわけで、フェアになれるわけでもない。

 

 大人になった時の所属集団って目的の達成とともに解消もしくは自然消滅してしまうけど、学校でのコミュニティって拘束時間がとても長いから、そこでの関係がすべてであるように感じてしまうじゃないですか。それで苦しい思いをする人って結構多いんじゃないかなって。「大人になったらもっと楽に人とかかわれるようになるからっ」て声をかけるのも、なんか違うと思うんですよ。

 

 実際、大人になって僕はすごく楽になったと思っていて、学生時代と比較するととてもいい感じに日々を送れている気がするんですよ。嫌な人は自分で決定して切り捨てたらいいし、この人いいなぁと思ったら長くお付き合いできるように工夫すればいいし。

 

 でも、学生ってそうじゃないじゃない。今いる場所のウェイトがほとんどを占めていて、ほかのコミュニティに所属しようと思ったら自分から足を運ばないといけないし。でも、そこでの生活がすべてだと思い込まされてしまうから、外に出ようという余裕も生まれないし、そもそもその発想自体を集団に所属することによって殺されてしまっている場合だってある。だから、フェアな関係で提案をするって、とても難しい。

 

 

   環境の変化に伴う所属集団の感じ方の違い

 

 学生時代の関係が濃いことを悪く書いてしまったように見えますが、全部が悪いと思っているわけでもなくて。社会人になったら、所属していたコミュニティは目的の達成によって解散してしまいますが、学生時代の友人って目的前提で集まるわけじゃないじゃないですか。関係の濃い、自分の苦しい時期を知っている親友がいてくれるなら拘束時間が長いことは全部デメリットではないのかなって思ったり。

 

 大人になってからできる交友関係って絶対に自分の過去を知らないわけですよ。そう思うと同級生って価値あるリソースですよね。ってなことを学生時代の友達に会った時にふと思ったわけで。

 

 社会に出て所属する集団が変わると、結構今まで好きだった空間や雰囲気になじめなくなるタイミングがあるんですよ。逆もしかりで、社会に出てからすごくつらい思いをして、今まで所属していた学生時代のコミュニティがとても恋しくなるみたいなこともあると思うんです。

 

 「今はまだ大丈夫。戻ってくるタイミングじゃない」とか「すごくしんどい。今すぐ戻りたい」って、人によってタイミング違うじゃないですか。各々過ごしてる環境が違うんだから、考えも悩むタイミングもみんなバラバラで当たり前だよねって。

 

でも、そんな中でも仲間が戻りたいって思って帰ってきてくれたタイミングで「お帰り」って言って暖かく迎え入れてあげられる、懐の深い人間でありたいなと。