CoCo壱に入ったら俺以外全員スーツだった。
こんばんは。とてもいいことに気づいていい気分になりながら帰りの電車に乗っています。
通勤時間の有効利用
行きは流石に書く気になれないから今のところ予定はないけど、帰りの電車そこそこ座れるし文章書けるんじゃね?って閃いて早速書くことにした。思い立ったが即行動。そんなに乗らなかったら普通に帰ってから書きます。
行きは本読みながら行くけど帰りになるとほどよく疲れているので読書は少し遠慮したいし、youtube見るにもおじさんの通信制限は2GBで昇天してしまう仕様なので諦め。冷静に考えて2GBってやばくない?
なーに書こっかなー。って入力すると頭の中が程よく整理されて書きたいものがポッと出てくることに最近気がついた。
憧れの20年前
教員一年目は毎日スーツで仕事してて、ジャージで仕事してる人間を見ると「フェアじゃないな」とか考えながら仕事してました。スーツ着てる大人を見てカッコイイとか思ってて、紳士に憧れがあった。おそらく、叔父がホテルマンだったことが影響していたのだと今になって思う。
ただ、気がついたらスーツは着なくなっていた。何なら今の通勤スタイルは
私服
カメラとイヤホンが標準装備
カバンの中は趣味の本しか入ってない
みたいな感じで、憧れの叔父から全速力でかけ離れていって見えないレベルだと思う。
身体的にラフになろう
ただ、いいこともあって、身体的にラフになると仕事が嫌という感情が幾分か軽減されてることに気づいた。パフォーマンスもある程度は出るし、帰って着ても思ったより気疲れしないのも良さを感じる。
責任ある仕事とは
責任感を持って仕事をするのはとても大事。という主張はもっともだが、それはスーツという外見だけで担保されるものなんだろうか?とも考えてしまう。
自分みたいに服装を自由にするだけでパフォーマンスが上がる人物が一定数いるのだとすれば、それは社会的にも損失なんじゃないだろうか?
見る場所は本当にそこであってるのか?フォーカスできているだろうか?そんなことを考えてたら家に着いてしまった。
今日はここまで。それでは。